20世紀日本人名事典 「宮崎康平」の解説
宮崎 康平
ミヤザキ コウヘイ
- 生年
- 大正6(1917)年5月7日
- 没年
- 昭和55(1980)年3月16日
- 出生地
- 長崎県島原市
- 本名
- 宮崎 一章(ミヤザキ カズアキ)
- 別名
- 幼名=懋,旧筆名=宮崎 耿平
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学文学部〔昭和15年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 吉川英治賞(第1回)〔昭和42年〕「まぼろしの邪馬台国」
- 経歴
- 在学中東宝文芸課に入社し、文芸・演劇活動を始め、三好十郎に師事。昭和15年長兄の死去により郷里の島原市に帰り、南旺土木社長などを歴任。戦後、島原鉄道の常務取締役として会社の再建に当たるうち25年に過労から失明した。しかし、「九州文学」編集委員・世話人として、詩・ドラマ・小説を発表、失明をのりこえて活躍。また、その後再婚した和子夫人の協力で古代史を独自の立場で研究し、邪馬台国が島原半島に存在したと主張する「まぼろしの邪馬台国」を「九州文学」に発表、42年には講談社から刊行されて第1回吉川英治賞を受賞。43年からは長崎深江町に西海風土農研深江農場をつくり、無農薬野菜などの普及にも当たった。詩集に「茶昆の唄」があり、なかでも「島原の子守唄」「落城の賊」が有名。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報