打越遺跡
おつこしいせき
[現在地名]富士見市東みずほ台・水谷
水子貝塚の西方、武蔵野台地東端にある。打越貝塚・東小原貝塚という別称もあり、縄文時代前期の貝塚としてよく知られている。発掘調査は昭和一四年(一九三九)以来四回行われたが、同四七年から一一年間にわたって大規模な調査が実施された。旧石器時代、縄文時代早・前・中・後期、弥生時代後期、古墳時代、中世にわたる複合遺跡。発掘された竪穴住居跡は縄文時代の三八一である。遺跡の中心は貝塚形成期である縄文時代早期末葉から前期前半期にかかる打越期・花積期・関山期にある。
打越遺跡
うちこしいせき
[現在地名]富津市下飯野 打越
小糸川河口域左岸の神明山山系に接する標高一四メートルから一九メートルの微高地上に立地。昭和六二年(一九八七)から翌年にかけての調査で竪穴住居三九五軒を数える大規模な集落であることが判明したが、そのほとんどが弥生時代後期から古墳時代前期のもの。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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