水子貝塚(読み)みずこかいづか

日本歴史地名大系 「水子貝塚」の解説

水子貝塚
みずこかいづか

[現在地名]富士見市水子 寺前

武蔵野台地東端北方荒川低地に面する舌状台地基部にある。縄文海進期に内陸部に形成された縄文時代前期の貝塚。直径約一六〇メートルの環状に並ぶ約六七ヵ所の小貝塚からなる大規模な貝塚群で、しかも小貝塚の分布から貝塚形成時の集落の規模形態を推測しうる遺跡として、昭和四四年(一九六九)史跡に指定された。平成三年(一九九一)から三ヵ年計画で環境整備事業に着手、同六年五月には史跡公園となる予定である。発掘調査は昭和一二―一三年、同四七年、平成三―四年に実施されており、竪穴住居跡七が発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「水子貝塚」の解説

みずこかいづか【水子貝塚】


埼玉県富士見市水子にある貝塚遺跡。関東平野の西部に広がる武蔵野台地の北部、荒川とその支流入間(いるま)川、柳瀬(やなせ)川に囲まれた川越台地の東端に位置する。縄文時代前期の貝塚で、貝塚形成当時の集落の規模や形態が推測でき、学術的価値が高いことなどから、1969年(昭和44)に国の史跡に指定。貝塚は1937年(昭和12)に発見され、1938年(昭和13)からの3回の調査と1978年(昭和53)に行われたボーリング調査を併用した分布調査の結果、直径160mの範囲に67ヵ所の貝塚によって構成される環状地点貝塚であることが判明した。各小貝塚は主として淡水産の貝などで構成されているが、貝層下からは、いずれも竪穴(たてあな)住居跡が発見されていることから、廃棄された住居の跡地に形成された貝塚といえる。貝塚の多い関東地方でも縄文時代前期の貝塚が史跡指定されたのは、この貝塚が最初である。1994年(平成6)に一帯水子貝塚公園として整備され、開園している。東武鉄道東上線みずほ台駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「水子貝塚」の意味・わかりやすい解説

水子貝塚
みずこかいづか

埼玉県富士見市水子寺前、新河岸(しんがし)川右岸の台地突端上にある縄文前期後半の貝塚。ヤマトシジミを主体とし、ハマグリ、カキなど海産貝類を若干混じえる。1941年(昭和16)に二軒(水子式)、67年には三軒(諸磯(もろいそ)B式)の竪穴(たてあな)住居址(し)を発掘調査したが、その後の二度にわたる分布調査によって、直径160メートルの環状に67か所の地点貝塚が点在することが確認された。古東京湾に属する荒川沿岸で、きわめて良好に保存されている環状地点貝塚は水子貝塚以外にはなく、環状集落の構造を知りうる典型的な遺跡である。69年に国指定史跡となり、地元に史跡公園化の計画がある。なお水子式土器は、繊維土器から繊維を含まない土器(黒浜式→諸磯a式)への接点として設定された縄文前期後半の標式土器である。

小泉 功]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の水子貝塚の言及

【水子大応寺貝塚】より

…埼玉県富士見市水子字寺前の大応寺の門前にある縄文時代前期の遺跡。水子貝塚ともよばれる。荒川の河口から上流へ約38km,新河岸川の右岸,荒川の低地を見下ろす武蔵野台地の北東端部,標高約19mの地に位置する。…

※「水子貝塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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