日本歴史地名大系 「富田・下富田」の解説
富田・下富田
とんだ・しもとんだ
安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)に「日向国富」とみえ、富は富田のこととみられる。後世の作為を含むとみられるが、建久元年(一一九〇)伊東(工藤)祐経は富田庄八〇町を源頼朝から安堵され、祐経・祐時・祐重・祐安と継承されて
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)に「日向国富」とみえ、富は富田のこととみられる。後世の作為を含むとみられるが、建久元年(一一九〇)伊東(工藤)祐経は富田庄八〇町を源頼朝から安堵され、祐経・祐時・祐重・祐安と継承されて
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