日本歴史地名大系 「寺原村」の解説
寺原村
てらはらむら
慶長検地高目録には「清水村」とみえ、村高四九四石余、小物成一四・八九九石。ただしこの高はのちに分村する西原村分を含む。西原村分村後の安永六年(一七七七)の御毛見町積指出帳(堀江家文書)にも清水村とあり、村高四四四石余、うち寺原村分三六七石余(小峠紙屋敷分七石四斗余を含む)、湯子川村分七六石余。
寺原村
てらばらむら
慶長六年(一六〇一)の検地では高七二九・九二八石。明知・給知入交じりで、安永元年(一七七二)までの免は上り詰六・二、下り詰四・八七、享保一七年(一七三二)の虫害凶作による秋免は〇・九、安永二年より定免六・一七(国郡志下調書出帳)。農業を主とする村で、入会肥草山四、腰林一六、用水井手二三、雨池一〇などがあり、「村内七歩方井手掛り、三歩方出水掛り夏照続の年は水乏旱損有之候へ共、照勝之年柄宜敷候」といい、農間は、男子は藁細工縄莚など、女子は布・木綿織などの稼ぎがあった(同書出帳)。
寺原村
てらばるむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報