朝日日本歴史人物事典 「寺田屋登世」の解説
寺田屋登世
生年:天保1(1830)
幕末,京都伏見の船宿の女将。父は近江国大津の旅館主大本重兵衛とも,同地米問屋大本重太郎(または山本重助)ともいう。18歳で寺田屋6代目伊助に嫁し,放蕩者の夫の代わりに女将として手腕を発揮,三十石船の船頭を増やして船足を速くし評判となる。35歳で夫と死別。捨て子5人を育てたほど任侠心に富み,勤王の志士を熱心に庇護して何度も奉行所に捕らえられそうになる。寺田屋では慶応2(1866)年坂本竜馬襲撃事件のほか,文久2(1862)年の薩摩藩尊攘派弾圧事件(寺田屋騒動)が起こり,事件後登世は薩摩藩が罪人とした志士有馬新七ら9名の法要を営んだ。坂本竜馬の愛人お竜を養女として世話したことも有名。墓所は伏見の宗玄寺(現・松林院)。<参考文献>『御大礼記念京都府伏見町誌』
(横田則子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報