対田村(読み)たいたむら

日本歴史地名大系 「対田村」の解説

対田村
たいたむら

[現在地名]浜坂町対田

福富ふくどめ村の東、久斗くと川の下流域に位置し、集落は同川右岸の山側に発達。耕地は久斗川流域の平地に展開し、一帯二方ふたかた郡の穀倉地帯といわれた。東は久谷くたに村。元禄一〇年(一六九七)の組中書出帳(森家文書)によれば、古くは滝田と書いたが、先年来たびたび洪水に見舞われたため、滝は水につくとして豊岡藩士新今小兵衛が二方郡に在番の折に用字を対田に改めたという。弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」には「たいた」とみえ当地には宮村太郎左衛門殿・宮村三郎二郎殿など宮村姓の一族が住していた。清富相応峰きよどめそうおうみね寺の過去帳の永禄一〇年(一五六七)分には「滝田ノ弥九郎ノ弟彦三郎 道円」とある。

江戸時代の領主変遷田井たい村に同じ。郡中惣高(福井家文書)では太閤検地高とみられる古高五九二石余。元和三年(一六一七)の宮城豊盛領二方郡高帳では滝田村とあり、村高は前出古高に同じで、小物成として山手米一石八斗二升、桑手の綿一四四匁が課せられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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