日本歴史地名大系 「浜坂村」の解説
浜坂村
はまさかむら
現浜坂町域の北部中央、
弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」に「はま坂」とみえ、当地には「もり和泉殿」や佐々木三郎左衛門殿・湊兵衛殿などが住していた。また
浜坂村
はまさかむら
鳥取城下の北方、
浜坂砂丘に連なる当村の領分には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現浜坂町域の北部中央、
弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」に「はま坂」とみえ、当地には「もり和泉殿」や佐々木三郎左衛門殿・湊兵衛殿などが住していた。また
鳥取城下の北方、
浜坂砂丘に連なる当村の領分には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報