日本歴史地名大系 「小丸村」の解説 小丸村おまるむら 福島県:双葉郡浪江町小丸村[現在地名]浪江町小丸高瀬(たかせ)川上流にあり、南の高瀬川対岸は井手(いで)村、東は大堀(おおぼり)村。高瀬川渓谷入口付近の段丘地帯から渓谷に沿って登り、北沢(きたざわ)・焼築(やきちく)・三程(みほど)などの小平坦地を経て落合(おちあい)村(現葛尾村)へ続く。この道は三春藩領古道(ふるみち)村(現都路村)への街道であった。建武四年(一三三七)四月日の相馬胤時軍忠状(相馬文書)に「標葉小丸 人令剪捨処」とあり、同年五月日の某軍忠状(同文書)にも「標葉庄小丸城口羽尾□□合戦之時」と記され、同年八月日の相馬朝胤軍忠状(大悲山文書)には「標葉庄小丸城口羽尾原合戦」とあって、四月二日に当地で合戦が行われている。 小丸村こまるむら 兵庫県:城崎郡竹野町小丸村[現在地名]竹野町小丸鬼神谷(おじんだに)村の東、竹野川下流域(両岸)に位置する。江戸時代の領主の変遷は宇日(うひ)村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高一〇三石余。元禄九年(一六九六)の但州村々法度五人組帳(冨森家文書)でも同高。元文四年(一七三九)の家数人数其外書上帳(細田家文書)によると家数二五・人数一三四、社二、牛六。 小丸村こまるむら 愛知県:岡崎市小丸村[現在地名]岡崎市小丸町青木(あおき)川上流の山間に位置し、四方を山に囲まれる。北西は新居(あらい)村に接し、南東は標高三〇〇メートル以上の山嶺が続き、越えれば乙(おと)川水系である。近世を通じて岡崎藩領。寛永郷帳高七二石余。額田手永に属し、享和二年書上には人別九二人、うち男四八・女四四、馬二。小丸地籍北の山麓に長光(ちようこう)寺がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by