小名浜湊(読み)おなはまみなと

日本歴史地名大系 「小名浜湊」の解説

小名浜湊
おなはまみなと

[現在地名]いわき市小名浜 古湊

小名川河口東方の米野こめの村にあった。文禄四年(一五九五)の岩城領小物成目録(秋田県立秋田図書館蔵)に、小名ノ浜内として大船三五・小船三・猟船五がみえる。寛文一〇年(一六七〇)の「磐城風土記」には「漁舟百艘及び積穀百石許り、廻船十艘、浜の塩竈八区、左右二里半許りの間、沖に至るまで磯浜なし。東のかた綱取山巳午の間に至るまで山突出して海水を含み風静かにして波平かにして漁舟の往来易し。五月より九月に至るまで鰹魚を釣り漁舟競ひ聚つて其の数を知らず。多くこれ他国より来る。この時に当り浜畔の富めること言ふに堪えざるなり。綱取舟を繋ぐの間一百八十歩許、水深く四尋五尋、積穀三四百石許り船二十艘余を繋ぐも亦足りとせず」と記される。同一一年河村瑞賢は東廻海運航路を策定し、小名浜湊もその寄港地とされた。幕府は浦役人に米野村野崎与左衛門を任命、五人扶持を給した。のちに中島なかじま村御代加茂左衛門に代わる。磐城平藩は米野村の丘上に津奉行屋敷を設け、浜奉行を置いた。また、中島村には浜に近い南側屋敷の一画に、敷地五畝歩の陣屋を置いた。役人二名と須賀番二名が詰めた。寛永一八年(一六四一)たなこ船役、慶安三年(一六五〇)猟船役、明暦二年(一六五六)から綱役銭など漁具にかかる役金が徴収され、延宝三年(一六七五)からは漁獲の一五分の一が上納された。そのため税を納めた陣屋を十五分一役所とよんだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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