日本歴史地名大系 「小山庄」の解説
小山庄
おやまのしよう
- 栃木県:小山市
- 小山庄
「和名抄」
小山庄
おやまのしよう
- 福井県:大野市
- 小山庄
大野市西南部一帯と大野郡
長承二年(一一三三)六月一四日付の醍醐寺円光院宛官宣旨案(醍醐雑事記)に右近衛権中将藤原成通家領として「就中彼家領小山郷内舌村・木本小山村・小山坂尻村・左開村、川原郷内折立村・川原村・味美村・有羅河内・佐佐熊足河内・穴馬河内等所在之田畠、依及数百町、視聴之者、皆驚耳目」とある。藤原成通は、鳥羽院の妃美福門院の従弟であったが、当庄は嘉元四年(一三〇六)六月の昭慶門院御領目録(竹内文平氏所蔵文書)に「安楽寿院領越前国小山庄」とみえ、鳥羽院が
鎌倉初期、地頭に関する将軍源実朝書状案(三浦文書)に
とあり、これによって、建保四年(一二一六)当庄をめぐる公武間の交渉があったこと、そして地頭北条義時に代官を派遣するよう将軍実朝から下知されたことがわかる。ただその後、地頭はしだいに当庄を侵食し、鎌倉後期には、領家奈良興福寺塔頭
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報