小川又次(読み)オガワ マタジ

20世紀日本人名事典 「小川又次」の解説

小川 又次
オガワ マタジ

明治期の陸軍大将,子爵



生年
嘉永1年7月24日(1848年)

没年
明治42(1909)年10月20日

出生地
豊前国小倉(福岡県)

別名
幼名=助太郎

学歴〔年〕
兵学寮卒

経歴
明治5年陸軍少尉。10年西南戦争大尉従軍、熊本城籠城戦で勇名を馳せた。大阪広島各鎮台参謀長参謀本部局長(大佐)を歴任。27年日清戦争には少将となり、山県有朋第1軍司令官の参謀長として参戦、戦後男爵。30年中将。37年日露戦争には第4師団長で出征。38年大将となり、同年奉天会戦で負傷して帰国。戦後子爵。謀将として知られた。40年予備役。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「小川又次」の解説

小川又次

没年:明治42.10.20(1909)
生年:嘉永1.7.24(1848.8.22)
明治期の陸軍軍人。小倉藩(福岡県)藩士小川兼宣の長男。兵学寮を経て,大尉で台湾出兵(1874)に従軍し,神風連の乱鎮圧,西南戦争(1877)の熊本籠城戦で勇名を馳せた。大阪,広島各鎮台の参謀長を務めたのち,大佐で参謀本部の局長に就任し川上操六参謀次長の信任を得るとともに,戦術家としての名声をあげた。日清戦争(1894~95)では山県有朋第1軍司令官の下で参謀長を務め,その功により男爵。明治30(1897)年中将,第4師団長となり,日露戦争(1904~05)では金州と南山の戦闘,大石橋の夜襲で戦功を挙げたが,遼陽の会戦で負傷し帰還した。明治38年大将に任じられたが,やがて休職。同40年予備役に編入,子爵。<参考文献>桜井忠温編『類聚伝記大日本史』14巻

(戸部良一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川又次」の解説

小川又次 おがわ-またじ

1848-1909 明治時代の軍人。
嘉永(かえい)元年7月24日生まれ。西南戦争に大尉として参加,日清(にっしん)戦争では山県有朋(ありとも)第一軍司令官のもとで参謀長として活躍。日露戦争には第四師団長として従軍し,明治38年陸軍大将となった。明治42年10月20日死去。62歳。豊前(ぶぜん)企救(きく)郡(福岡県)出身。陸軍兵学寮卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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