小川松民(読み)おがわしょうみん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小川松民」の意味・わかりやすい解説

小川松民
おがわしょうみん

[生]弘化4(1847).江戸
[没]1891.5.30. 東京
漆芸家。金具師小川忠蔵の子。 16歳のとき中山胡民に師事して蒔絵を学んだ。その後,古典蒔絵の研究を重ね模造した。特に明治の復古国粋主義の美術批評家たちの感化を受け,歌絵模様の蒔絵を好んで制作。東京美術学校教授として工芸家育成に努めた。主要作品『熨斗若松蒔絵盆』 (東京芸術大学) ,『布引滝蒔絵硯箱』 (東京国立博物館) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小川松民」の解説

小川松民 おがわ-しょうみん

1847-1891 明治時代の漆芸家。
弘化(こうか)4年4月25日生まれ。中山胡民(こみん)に蒔絵(まきえ)を,池田孤村光琳(こうりん)の画風をまなんだ。明治9年渡米し万国博覧会を見学内国勧業博覧会などに蒔絵を出品。23年東京美術学校(現東京芸大)の初代漆工科教授となる。明治24年5月29日死去。45歳。江戸出身。通称は繁次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小川松民の言及

【蒔絵】より


[近代以後]
 明治維新によって主を失った御用蒔絵師は活躍の場もなく貧困にあえいだが,逆境に抗して蒔絵の伝統を守った。幕末から明治にかけては柴田是真,中山胡民(1808‐70)らが,明治になって川之辺一朝(1830‐1910),白山松哉(1853‐1923),小川松民(1847‐91)らの名工が出た。1889年には東京美術学校が開校し,漆工科が設けられ,その門から六角紫水らが輩出し,以後漆芸界の指導的立場を担った。…

※「小川松民」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む