日本歴史地名大系 「小来栖村」の解説 小来栖村こぐるすむら 富山県:東礪波郡平村小来栖村[現在地名]平村小来栖下梨(しもなし)村の北、峰地(みねじ)と称する山地南面に立地。北は田代(たしろ)村、北東は松尾(まつお)村。集落の上段に道場屋敷(どうじようやしき)・鍛冶屋敷(かじやしき)・番小屋(ばんごや)の地名が残り、神明社が現存する。ほかに的場(まとば)・田屋(たや)の地名もある。天文二一年(一五五二)一〇月二七日の五箇山衆連署申定(生田家文書)の「下梨」の内に小来栖専了・同中屋の名がみえる。元和五年(一六一九)の高一二〇石余(幕末まで変化なし)、免三ツ八歩。 小来栖村こくるすむら 茨城県:稲敷郡桜川村小来栖村[現在地名]桜川村四箇(しか)四箇村の南に位置し、古くは霞ヶ浦の入江に面していた。元禄郷帳の村高三三石余の小村。嘉永五年(一八五二)三月の差上申済口証文之事(永長家文書)によれば、小来栖・大来栖(おおくるす)・四箇三村の間で、これまでは三ヵ村一手で事に当たっていたのを改めようとして紛争が起こり、訴訟となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報