平出遺跡(読み)ひらいでいせき

精選版 日本国語大辞典 「平出遺跡」の意味・読み・例文・類語

ひらいで‐いせき‥ヰセキ【平出遺跡】

  1. 長野県塩尻市平出に所在する古代集落跡。縄文中期以降平安初期にいたる六六の住居跡を発見。戦後における集落跡調査の端緒となった。昭和二七年(一九五二国史跡に指定。

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日本歴史地名大系 「平出遺跡」の解説

平出遺跡
ひらいでいせき

[現在地名]塩尻市大字宗賀 平出

松本平の南縁は木曾山塊で限られているが、遺跡はその山麓に接する奈良井川扇状地にあり、北方は桔梗ききようはら一帯の畑地に続いている。遺跡は集落の北方の微高地で東西一千メートル、南北三〇〇メートルの範囲とされている。

本遺跡の総合調査は昭和二五―二六年(一九五〇―五一)に行われ、縄文中期住居跡一七、古墳時代から平安時代にかけての住居跡四九、掘立柱建物跡三を検出し、縄文時代では土器形式の編年、土器廃棄の問題、古墳時代以降では住居跡内の炉と竈の編年、灰釉・緑釉陶器の研究、また縄文住居を含めての住居の上屋構造の復元など以後の考古学研究に及ぼした影響は大きく、国の史跡に指定。

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改訂新版 世界大百科事典 「平出遺跡」の意味・わかりやすい解説

平出遺跡 (ひらいでいせき)

長野県塩尻市宗賀に所在する縄文時代中期と古墳時代から平安時代に続く大集落遺跡。1949-52年,79-81年の2回にわたる発掘調査で,東西700m,南北300mの範囲から,縄文時代中期の竪穴住居址19と,古墳時代,奈良・平安時代の竪穴59のほか,倉庫跡と推定される柱穴址3などの遺構が発見されている。それらの遺構中からは多量の遺物が発掘されているが,とくに古墳時代以降の古代の遺物には,鎌・鋤などの鉄製農具,稲・アワなどの栽培穀物の炭化物,さらに牛・馬など飼育動物の骨があり,古代農業の復元研究に貴重な資料を提供している。また遺跡の位置する場所が,松本平の南西端,木曾谷との接点にあたるということもあってか,多量の日常生活用の土器(土師器(はじき),須恵器)とともに,おそらく畿内地方から移入されたとみられる完形の緑釉水瓶(りよくゆうすいびよう)を含む施釉陶器片の出土も顕著である。そのことは平出遺跡付近が古代東山道の一つの中継拠点であったのではないかという推測を生ませた。なお平出遺跡と接する位置にある柴宮からは,長野県では唯一例の完全な銅鐸が出土していることも,上記の推測をうらづける事実である。現在,遺跡には奈良時代竪穴住居1戸が復原されるなどの保存整備計画が進められ,出土品を収蔵・展示する平出遺跡考古博物館も一般公開されている。
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国指定史跡ガイド 「平出遺跡」の解説

ひらいでいせき【平出遺跡】


長野県塩尻市宗賀にある集落跡。松本平と呼ばれる平地の南端にあり、東西約1km、南北約300mの範囲にわたって、縄文早期から平安時代にかけて長期にわたる集落跡が見られる複合遺跡である。かつては茅野(ちの)市の尖石(とがりいし)遺跡、静岡の登呂(とろ)遺跡とともに日本三大遺跡に数えられ、1950年(昭和25)からの発掘調査によって、47の縄文時代中期の集落跡、古墳時代~平安時代の128の竪穴(たてあな)式住居跡、平安時代の建物跡が4棟発見されている。地域内からは石鏃(せきぞく)や石匙(さじ)、土偶、土師器(はじき)、須恵器(すえき)、緑袖(りょくゆう)水瓶、鉄鏃、鉄鎌なども発見された。この遺跡は広大な地域にあって長期間にわたり存続した古代の集落を示すものとして、わが国の文化を考えるうえで価値がある。1952年(昭和27)に国の史跡に指定された。隣接する塩尻市立平出博物館には、土器や土偶などの出土品約2万点や、日本ではきわめて珍しい奈良時代の2mを超える瓦塔(がとう)が展示されている。一帯は木々に囲まれて復元された竪穴式住居などが建ち、平出遺跡公園になっている。JR中央本線ほか塩尻駅から車で約5分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平出遺跡」の意味・わかりやすい解説

平出遺跡
ひらいでいせき

長野県塩尻(しおじり)市平出(旧宗賀(そうが)村)を中心に営まれた原始・古代の集落遺跡。松本盆地の南端、奈良井川の扇状台地上にある。古墳時代から平安時代に及ぶ竪穴(たてあな)住居址(し)、高床倉庫址などを中心に、縄文中期の竪穴住居址や信仰に関係ある配石址を含む代表的集落址である。1949年(昭和24)村役場に調査会が置かれ、大場磐雄(いわお)を団長に4か年にわたって考古、古代史、地理、民俗各分野の総合的調査が行われた。

 出土遺物では、緑釉水瓶(りょくゆうすいびょう)が平安初期の優品として知られ、また東濃産の大量の灰釉(かいゆう)陶器は、古代における経済流通の実態をよく物語っている。自然遺物では米、大麦、ソラマメなどが注目された。古墳時代の竪穴住居や高床倉庫などが復原され、出土遺物は塩尻市立平出博物館に収蔵展示されている。

 第二次世界大戦後、登呂(とろ)遺跡(静岡)の調査と相前後して、多くの大学が各研究分野で参加して共同研究を行い、地方史研究のあり方を模索し、とくに考古学の面では遺跡の広がりをとらえ、その古代的復原を試み、遺跡博物館を設置して保存を図るなど、多くの画期的試みがなされた点、学史的にもつ意義は少なくない。遺跡は1952年国の史跡に指定。

[小出義治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平出遺跡」の意味・わかりやすい解説

平出遺跡
ひらいでいせき

長野県塩尻市宗賀通称平出にある原始および古代の集落址。 1950,51年に平出遺跡調査会が総合調査を行なった。縄文中期 (勝坂式~加曾利E式) 住居址 17,古墳~平安時代住居址 49,高床倉庫と考えられる柱穴址など,各時期における集落の好例がある。古墳~平安時代住居址では,炉からかまどへの変遷をたどることができる。遺物は平出考古館に収蔵されているが,このなかでは緑釉水瓶が有名で,ほかに畑作物 (陸稲,大麦,粟,そら豆など) もあり,水田の少い地域における広範な農業生産を推測させる資料もある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「平出遺跡」の解説

平出遺跡
ひらいでいせき

長野県塩尻市宗賀にある縄文時代および古墳~平安時代の大規模な集落遺跡。1950・51年(昭和25・26)考古学に地学・建築学・民俗学など関連諸学を含めた総合調査が行われた。数多くの竪穴住居跡や掘立柱建物跡などの遺構を検出,県宝に指定された緑釉水瓶をはじめとする土器や陶器,鉄製品などが豊富に出土。藤島亥治郎の設計にもとづく復原住居は,古代竪穴住居のモデル。国史跡。

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百科事典マイペディア 「平出遺跡」の意味・わかりやすい解説

平出遺跡【ひらいでいせき】

長野県塩尻市にある縄文時代から古代にかけての集落遺跡(史跡)。1949年―1952年発掘調査され,縄文(じょうもん)中期の住居跡と古墳時代後期〜平安初期の住居跡,掘立柱建物が発掘された。現在,古墳時代の62号住居跡が復原され,史跡公園として整備・公開されている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「平出遺跡」の解説

平出遺跡
ひらいでいせき

長野県塩尻市宗賀平出にある縄文時代中期から平安初期にかけての集落遺跡
縄文中期の竪穴17,古墳後期から平安初期にかけての竪穴49がある。地方の庶民が平安初期まで竪穴住居に住んでいたことがわかる。

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事典・日本の観光資源 「平出遺跡」の解説

平出遺跡

(長野県塩尻市)
信州の史跡百選」指定の観光名所。

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