日本歴史地名大系 「小石川戸崎町」の解説
小石川戸崎町
こいしかわとさきまち
伝通院領の町屋四ヵ所はかつて同院領小石川村の百姓地であったが、明暦二年(一六五六)に百姓町屋を許され、延享二年(一七四五)に町並地になった。四ヵ所は東方・西方・北方および中ほどと分れる。中ほどの町屋は小石川御殿御門下の通り(戸崎町通)の北東側を占め、この通りを隔てて南西は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
伝通院領の町屋四ヵ所はかつて同院領小石川村の百姓地であったが、明暦二年(一六五六)に百姓町屋を許され、延享二年(一七四五)に町並地になった。四ヵ所は東方・西方・北方および中ほどと分れる。中ほどの町屋は小石川御殿御門下の通り(戸崎町通)の北東側を占め、この通りを隔てて南西は
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