小砂丘忠義(読み)ささおかただよし

改訂新版 世界大百科事典 「小砂丘忠義」の意味・わかりやすい解説

小砂丘忠義 (ささおかただよし)
生没年:1897-1937(明治30-昭和12)

生活綴方,生活記録の方法の確立足跡を残した高知県の小学校教師,のち編集者。本名笹岡忠義。1917年高知師範学校卒業。この運動の源流のひとつであるSNK協会同人などを経て上京し,《教育の世紀》や《鑑賞文選》の編集に携わったのち,第二次《綴方生活》(1930年10月~37年12月)を主宰した。同誌の読者で寄稿者でもあった全国の綴方教師たちの寄せる各地の子どもの綴方の読解整理にとりくみ,日本語と日本語による文章表現指導体系の発見と確立に力を注いだ。41歳で貧窮のうちに東京に没したが,その指導体系は,1945年以後の生活綴方復興期に再発見され,今日にうけつがれている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小砂丘忠義」の解説

小砂丘忠義 ささおか-ただよし

1897-1937 大正-昭和時代前期の教育運動家。
明治30年4月25日生まれ。小学校教師となり,大正10年教育界の革命をとなえてSNK協会を組織し,同人誌極北」を発行。14年上京し,全国誌「綴方(つづりかた)生活」を創刊,また郷土社を設立して「綴方読本」を刊行。生活綴方教育運動の普及につとめた。昭和12年10月10日死去。41歳。高知県出身。高知師範卒。本名は笹岡忠義。

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世界大百科事典(旧版)内の小砂丘忠義の言及

【生活綴方】より

… 生活綴方は,はじめ地方農山漁村の公立小学校の教室とその校区青年会で始まったが,学校では国定教科書のなかった国語科綴方(作文)の時間を使って主におこなわれた。その原型を打ち出した一人である小砂丘(ささおか)忠義は高知県の山村の小学校での実践をへて,1930年から《綴方生活》を編集,全国的な運動の契機をつくったが,その伏線として芦田恵之助の随意選題綴方の主張や鈴木三重吉の《赤い鳥》(1918創刊)による綴方のリアリズムの運動があった。農村の疲弊が進むなかで,東北地方では秋田の青年教師たちを中心に《北方教育》(1930)が創刊され,社会科学的な観点から生活を把握する眼を綴方を通して育てようとする〈北方性教育運動〉が展開された。…

【綴方生活】より

…子ども向け雑誌《綴方読本》をもつ。1929年10月,編集人志垣寛,文園社刊で始まったが,翌30年10月,編集人小砂丘(ささおか)忠義,郷土社刊となる。この号に,〈綴方教育を中心〉として教育方法の確立をめざす旨を説く同誌第2次同人の宣言文が発表され,生活綴方の雑誌としての方向が決まった。…

※「小砂丘忠義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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