日本大百科全書(ニッポニカ) 「小繋事件」の意味・わかりやすい解説
小繋事件
こつなぎじけん
岩手県二戸(にのへ)郡一戸(いちのへ)町字(あざ)小繋の小繋山の入会(いりあい)権をめぐる一連の争訟事件。1915年(大正4)の小繋大火ののち、地元農民が小繋山から建築用材を切り出そうとしたところ、地主である鹿志村亀吉(かしむらかめきち)は所有権を盾にそれを阻止した。しかし農民側は先祖代々の入会権を主張し、半世紀にわたり民事と刑事の訴訟が重ねられた。17年の第一次民事訴訟は原告農民側の敗訴、46年(昭和21)の第二次訴訟は仙台高等裁判所の職権調停の判決を受けた。また森林法違反で農民側が起訴されていた刑事訴訟は、66年1月、最高裁判所が入会権消滅と判断し、全被告を有罪とした。この間、小繋では早稲田(わせだ)大学農村調査団の法的助言を受けたり、世界母親大会に代表を派遣するなど幅広い運動が展開されていった。また、法社会学者の戒能通孝(かいのうみちたか)が、『小繋事件』(岩波新書)を著し、東京都立大学教授の職をなげうって刑事訴訟の弁護団に加わるなど、学問の実践化に努めたことは有名である。
[小田部雄次]