戒能通孝(読み)カイノウ ミチタカ

20世紀日本人名事典 「戒能通孝」の解説

戒能 通孝
カイノウ ミチタカ

昭和期の法学者,弁護士 元・東京都立大学教授;東京都公害研究所初代所長。



生年
明治41(1908)年5月30日

没年
昭和50(1975)年3月22日

出生地
長野県飯田市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔昭和5年〕卒

学位〔年〕
法学博士(東京大学)〔昭和25年〕「入会の研究」

主な受賞名〔年〕
毎日出版文化賞(第1回)〔昭和18年〕「入会の研究」

経歴
東大在学中からセツルメント法律相談部の活動に参加、昭和5年東大法学部助手。法社会学の立場から農村の土地問題、歴史と現実の研究に打ち込み、18年「入会の研究」で第1回毎日出版文化賞を受け、同年の「法律社会学の諸問題」もその理論的成果の一つ。戦後極東国際軍事裁判弁護人として活躍。天皇制の無責任体系を「暴力」「群集」に発表。またこの裁判で英米法型の近代訴訟手続きに触れたことから「裁判」「法廷技術」の出版で紹介、非近代的な日本の裁判を批判した。22年日本法社会学会理事、31年国際民主法律家協会大会参加、38年日本学術会議会員など法学者の民主的運動のリーダー役を務めた。一方、24年早大教授、29年から都立大教授も務めたが、39年岩手県一戸町小繫地区の農民の入会闘争(小繫事件)弁護のため教授を辞任。この間、33年憲法問題研究会結成に参加、38年弁護士登録。44年東京都公害研究所初代所長。他の著書に「市民の自由」「法律の階級性」「民法学概論」「小繫事件」「公害の法社会学」などのほか、「戒能通孝著作集」(全8巻 日本評論社)がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戒能通孝」の意味・わかりやすい解説

戒能通孝
かいのうみちたか
(1908―1975)

法学者、弁護士。明治41年5月30日長野県飯田(いいだ)に生まれる。1930年(昭和5)東京帝国大学法学部を卒業後、同大学助手となり、民法、法社会学を専攻サビニーイェーリング、ギールケらの古典を研究するかたわら、農村調査などを通じて、法を民衆のために役だてるという基本精神を培い、後の裁判闘争や公害の法学的研究にみられる実践的で幅広い学風が形成された。第二次世界大戦前の業績は、『入会(いりあい)の研究』(1943)に集約され、戦後は極東国際軍事裁判の弁護士として活躍した。その経験に基づき『裁判』(1951)、『法廷技術』(1952)などを著し、戦後の日本の裁判制度の民主化に貢献した。それは松川裁判批判その他多くの論文・著作を通じて生涯続けられた。

 1949年(昭和24)早稲田(わせだ)大学教授、54年東京都立大学教授、法制審議会委員などを歴任し、その間『法社会学の課題』(1951)、『法律講話』(1952)などを著し、法学教育にも尽くした。小繋(こつなぎ)事件では、農民の側にたって弁護に努め、その記録を『小繋事件』(1964)として世に問うた。68年に東京都公害研究所初代所長に就任し、公害の研究・行政面で貢献した。昭和50年3月22日没。

[佐藤篤士]

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改訂新版 世界大百科事典 「戒能通孝」の意味・わかりやすい解説

戒能通孝 (かいのうみちたか)
生没年:1908-75(明治41-昭和50)

法社会学者。入会,裁判,公害研究の権威。長野県生れ。1930年東大法学部卒。師は穂積重遠,末弘厳太郎。在学中セツルメント法律相談部,39年中国農村慣行調査に参加。戦後極東国際軍事裁判の弁護,民科法律部会・日本法社会学会の設立・発展に貢献。早大,愛知大,都立大の教授を歴任。64年小繫(こつなぎ)事件弁護のため都立大辞任。69年東京都公害研究所初代所長。《戒能通孝著作集》全8巻(1977)がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「戒能通孝」の意味・わかりやすい解説

戒能通孝【かいのうみちたか】

法社会学者。長野県生れ。1930年東京大学法学部卒。末弘厳太郎らに学ぶ。第2次世界大戦後,極東国際軍事裁判の弁護人となる。民主主義科学者協会法律部会・日本法社会学会の創立・発展に関与,また早大・愛知大・都立大の教授を歴任,《法律時報》の責任編集もつとめ,司法制度の近代化・民主化に貢献した。1969年東京都公害研究所初代所長。著書に《入会の研究》《裁判》《小繋事件》や,《戒能通孝著作集》全8巻がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戒能通孝」の解説

戒能通孝 かいのう-みちたか

1908-1975 昭和時代の法学者,弁護士。
明治41年5月30日生まれ。昭和18年「入会(いりあい)の研究」などをあらわす。戦後,極東国際軍事裁判の弁護人として活躍。22年川島武宜とともに日本法社会学会を創設。24年早大教授,のち都立大教授。39年岩手県の小繋(こつなぎ)事件では農民を弁護した。44年東京都公害研究所初代所長。昭和50年3月22日死去。66歳。長野県出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「戒能通孝」の解説

戒能 通孝 (かいのう みちたか)

生年月日:1908年5月30日
昭和時代の法学者;弁護士。東京都立大学教授;東京都公害研究所初代所長
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の戒能通孝の言及

【法社会学】より

…末弘の影響は,平野義太郎マルクス主義法学の研究と,それによる日本資本主義の機構と法律の批判を生み出した。この両者の影響の下に,戒能通孝川島武宜が近代市民社会の研究を基礎として,日本社会の特殊性・前近代性を指摘した。ここには,エールリヒのほかに,ウェーバーやK.マルクスの影響もみられる。…

※「戒能通孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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