小越村(読み)おこえむら

日本歴史地名大系 「小越村」の解説

小越村
おこえむら

[現在地名]安佐北区白木しらき町小越

市川いちかわ村の三篠みささ川を境に東対岸に位置し、南はその支流せき川を挟んで秋山あきやま村に接する。高田郡に属し、古くは秋山村と一村であったともいう。「芸藩通志」に「広三十町、袤十五町、東北は山高く、西南平田にて川を界す、民産、工商あり」とある。

承安三年(一一七三)二月日付の安芸国司庁宣(厳島文書御判物帖)に「三田郷内尾越村為伊都岐島御領、知行民部大夫景弘(佐伯)事」とあり、続けて「右件三田郷内尾越村者、任文書相伝之理、為神主景弘朝臣地頭寄進伊都岐島御領、於官物者、弁済国庫、以万雑公事代、可令勤仕神役之状、所宣如件」とあり、他の三田みた郷内の村々と同様、平安時代末期には厳島神社領として万雑公事代を神社に納めることになっている。


小越村
おごしむら

[現在地名]幌泉ほろいずみえりも町字えりもみさき

明治初年(同二年八月から同六年の間)から明治三九年(一九〇六)までの村。幌泉郡の最南部に位置し、襟裳えりも岬先端部付近を境に西は油駒あぶらこま村に、北は苫別とまべつ(トワベツ川)をもって庶野しよや村に接し、東は太平洋に面する。当地の港は北西の風濤を避けるのに都合がよく、襟裳岬以西(幌泉・様似・浦河など)に停泊する船舶の避難港の役割をもっていた(「状況報文」など)近世史料にヲコシ、ヱリモ(エルモ)とみえる地(「東蝦夷地場所大概書」、谷「蝦夷紀行」など)などからなっていた。明治四年二月、幌泉詰の開拓大主典関定吉が開拓使本庁に提出した地名の漢字改正案ではヲコシに小越・於越を当て、そのなかから小越が採用され(「開拓使簿書・幌泉往復」道立文書館蔵)、「日高国地誌提要」でも小越村とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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