小金宿(読み)こがねしゆく

日本歴史地名大系 「小金宿」の解説

小金宿
こがねしゆく

[現在地名]松戸市小金

近世、小金町に置かれた水戸道の宿。南の松戸宿と北東我孫子あびこ宿との間を継送った。松戸宿までは日光道中付属の街道として道中奉行支配であったが、当宿以降は脇往還の扱いとなり、勘定奉行の支配を受けていた。宿の成立は明らかではないが、水戸道の整備とともに近世初期には宿となっていたものと思われる。松戸宿へは一里二〇町、我孫子宿へは二里一八町で、正徳五年(一七一五)駄賃は松戸宿まで本馬六七文・軽尻四三文、我孫子宿へは本馬一〇〇文・軽尻六八文であった(駅路鞭影記)。宿内には水戸藩主専用の本陣があり、同藩主通行の際は必ずここで休泊、水戸御殿と称された。同本陣は戦国期の小金城主高城氏の家臣といわれる日暮氏が世襲で管理した。ほかに中野清右衛門の本陣があり(宝暦八年「土浦道中絵図」柿沼家蔵)、一般の武家はこちらを利用したものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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