日本歴史地名大系 「尾平村」の解説
尾平村
おびらむら
尾平村
おひらむら
[現在地名]椎葉村下福良 尾平
下椎葉村の東、東流する耳川左岸に位置する。下福良掛三九ヵ村の一つで、所ヶ八重組に属する。日向国覚書に椎葉山之村形の一村として尾平とみえる。延享三年(一七四六)に検地竿入がなされ、畑六畝余(高七升余)が打出された(天明元年「椎葉山高反別取米一村限帳控」内藤家文書)。文政一一年(一八二八)の下福良村組焼畑見取場検地帳(相良家文書)では焼畑一町余・高一石一斗余。天保九年(一八三八)の椎葉山村々高覚(同文書)では高一石二斗余。寛延二年(一七四九)の村柄様子書上帳(同文書)では「畑地少々有之候ヘ共土地悪敷焼畑等も木立山無之、其上無精故いつとなく困窮仕申候、是先精ヲ出し相稼候ハヽ渡世も取続村も繁昌可仕与奉存候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報