屋井先蔵(読み)ヤイ センゾウ

20世紀日本人名事典 「屋井先蔵」の解説

屋井 先蔵
ヤイ センゾウ

明治・大正期の発明家,実業家 屋井乾電池発明者。



生年
文久3年12月5日(1864年)

没年
昭和2(1927)年6月

出生地
越後国長岡(新潟県)

経歴
明治8年上京し時計店の徒弟となる。帰郷後17年再び上京、日本教育品製造会社に勤務の傍ら電気時計を研究。18年その動力源である電池を改良して屋井乾電池を発明し、屋井乾電池合資会社を設立、乾電池製造を始める。26年にはシカゴ万国博でその品質が認められ、特許を出願。日清・日露戦争の際には凍結してしまう液電池に代わって軍事通信用に使われた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「屋井先蔵」の解説

屋井先蔵

没年:昭和2.6(1927)
生年:文久3.12.5(1864.1.13)
明治時代の実業家,発明家。携帯可能な乾電池を考案し,世界に先駆けて実用化した。越後国(新潟県)長岡生まれ。生家は下級武士。明治8(1875)年上京し,神田の時計店に丁稚奉公して時計の修理技術を身につけ,動力を使わない自動機械の発明に魅せられ,独力電気時計を発明。電池に興味を抱いて屋井乾電池合資会社を設立し,18年炭素棒をパラフィンで処理した独自の乾電池を発明した。25年シカゴで開かれた万国博覧会で屋井乾電池が地震計に使用され,その性能の良さが知られ,特許を出願。日清戦争で性能の良さが評判となり,日本の乾電池業界の覇権を握った。<参考文献>森本真一『電気を封じ込めた屋井先蔵』

(関井光男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「屋井先蔵」の解説

屋井先蔵 やい-せんぞう

1864*-1927 明治-大正時代の発明家。
文久3年12月生まれ。東京で職工をしながら,独力で電気時計を製作。ついで独自の乾電池を発明,明治18年独立して屋井乾電池を創業。26年シカゴ万国博でその性能の良さがみとめられ,日清(にっしん)・日露戦争では軍事通信に使用された。昭和2年6月死去。65歳。越後(えちご)(新潟県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android