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山井崑崙 やまのい こんろん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山井崑崙 やまのい-こんろん

1690-1728 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)3年生まれ。伊藤仁斎・東涯父子,荻生徂徠(おぎゅう-そらい)にまなび,伊予(いよ)(愛媛県)西条藩につかえる。足利学校(栃木県)の古典籍根本武夷(ぶい)とともに比較考証し,「七経(しちけい)孟子(もうし)考文」をあらわす。その補遺版は清(中国)の「四庫全書」に収録された。享保(きょうほう)13年1月28日死去。39歳。一説に天和(てんな)元年生まれ。紀伊(きい)海草郡(和歌山県)出身。名は重鼎,鼎。字(あざな)は君彝(くんい)。通称は善六。

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朝日日本歴史人物事典の解説

山井崑崙

没年:享保13.1.28(1728.3.8)
生年:生年不詳
江戸中期の漢学者。紀州(和歌山県)の人。森銑三説によると元禄3(1690)年生まれ。名は鼎(重鼎),字は君彝,通称は小伝次,善六。崑崙は号。正徳3(1713)年,伊藤東涯門に入るが,『訳文筌蹄』を一見,江戸に行き荻生徂徠に入門した。享保3(1718)年,紀州藩の支藩伊予(愛媛県)西条藩に出仕。5年から9年まで,同門の根本武夷と下野(栃木県)足利学校の古書の校勘に従事した。その結実が,歴史的名著『七経孟子考文補遺』である。校勘の精密さは,後人の範となった。<参考文献>藤井明,久富木成大『山井崑崙 山県周南』(日本の思想家18巻)

(高橋昌彦)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山井崑崙
やまのいこんろん
(1681/1690―1728)

江戸中期の儒学者。本姓は大神氏、名は鼎(かなえ)、字(あざな)は君彝(くんい)。崑崙はその号。紀伊(和歌山県)の人。伊藤仁斎(いとうじんさい)に学んだのち、江戸に出て荻生徂徠(おぎゅうそらい)に師事、伊予(愛媛県)の西条藩に仕えた。享保(きょうほう)13年、没した。徂徠の勧めに従って、友人根本遜志(そんし)(武夷(ぶい)、1699―1764)と足利(あしかが)学校遺跡を訪ね、3年間を費やして諸善本を読み合わせ、『七経孟子考文(しちけいもうしこうぶん)』を著した。中国で滅びた日本伝来の古籍の面目を伝えたもので、崑崙はその完成に心血を注いで病没したのである。[金谷 治]

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