日本大百科全書(ニッポニカ) 「七経孟子考文」の意味・わかりやすい解説
七経孟子考文
しちけいもうしこうぶん
江戸中期の儒学者山井崑崙(やまのいこんろん)の著書。補遺をあわせて199巻。儒学の古典について善本の異同を明らかにしたもの。山井崑崙は享保(きょうほう)年間(1716~36)に足利(あしかが)学校遺跡(栃木県足利市)に行き、所蔵の古版本を探って読み合わせること3年、易(えき)・書・詩・礼・春秋の五経と『論語(ろんご)』『孝経(こうきょう)』『孟子(もうし)』との8書について、それぞれそのテキストの異同を明らかにし、1726年(享保11)藩主西条侯に献上した。その2年後、山井は疲労のために病没したが、藩侯より幕府に献上され、幕府は荻生徂徠(おぎゅうそらい)の弟物観(ぶっかん)に命じて補遺をつくらせたうえ、1731年に刊行した。ほどなく中国に伝えられ、清(しん)朝の学者は日本に古い善本があることに驚き、また善本を比べ考える山井の学問方法(校勘(こうかん)学)から大きな刺激を受けた。盧文弨(ろぶんしょう)、阮元(げんげん)はその代表である。この書は乾隆帝(けんりゅうてい)の『四庫全書』に収められ、また阮元によって復刻されて、日本儒学の誇りともなった。
[金谷 治]