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根本武夷 ねもとぶい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

根本武夷
ねもとぶい

[生]元禄12(1699).鎌倉
[没]明和1(1764).12.2.
江戸時代中期の古学派の儒学者。名は遜志,字は伯修,号は武夷山人。幼少の頃から剣を好んだが,荻生徂徠の門に入って古文辞学を学び,詩文をも志すにいたった。著書『鎌倉風雅集』『武蔵七党伝』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

根本武夷 ねもと-ぶい

1699-1764 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)12年生まれ。享保(きょうほう)2年荻生徂徠(おぎゅう-そらい)に入門。師の命で山井崑崙(やまのい-こんろん)と下野(しもつけ)(群馬県)足利学校で七経校勘。「論語義疏(ぎしよ)」を校定した。明和元年11月2日死去。66歳。武蔵(むさし)久良岐郡(神奈川県)出身。名は遜志。字(あざな)は伯修。通称は八右衛門。著作に「鎌倉風雅集」,編著に「徂徠先生答問書」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

根本武夷

没年:明和1.11.2(1764.11.24)
生年:元禄12(1699)
江戸時代中期の漢学者。武蔵国久良岐郡弘明寺村(神奈川県横浜市南区)の人。名は遜志,字は伯修,通称は八右衛門。武夷と号す。家は豪農。先に剣術を学んでいたが,荻生徂徠の講義に感銘,享保2(1717)年その門に入る。5年から山井崑崙と共に足利学校で古書の校勘を行い,『七経孟子考文補遺』として結実。さらに寛延3(1750)年には『論語義疏』を校刊。両書とも中国に渡り,大きな影響を与えた。また,読本『湘中八雄伝』の作者ともいわれている。<参考文献>石井光太郎「根本武夷に就いて」(『神奈川県史蹟名勝天然記念物調査報告書』10)

(高橋昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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