朝日日本歴史人物事典 「根本武夷」の解説
根本武夷
生年:元禄12(1699)
江戸時代中期の漢学者。武蔵国久良岐郡弘明寺村(神奈川県横浜市南区)の人。名は遜志,字は伯修,通称は八右衛門。武夷と号す。家は豪農。先に剣術を学んでいたが,荻生徂徠の講義に感銘,享保2(1717)年その門に入る。5年から山井崑崙と共に足利学校で古書の校勘を行い,『七経孟子考文補遺』として結実。さらに寛延3(1750)年には『論語義疏』を校刊。両書とも中国に渡り,大きな影響を与えた。また,読本『湘中八雄伝』の作者ともいわれている。<参考文献>石井光太郎「根本武夷に就いて」(『神奈川県史蹟名勝天然記念物調査報告書』10)
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報