山口庄(読み)やまぐちのしよう

日本歴史地名大系 「山口庄」の解説

山口庄
やまぐちのしよう

紀ノ川の北岸、葛城(和泉)山脈南麓にあり、名草なくさ郡西端の荘園で、現山口西やまぐちにし藤田ふじた上黒谷うえくろだにたにさと湯屋谷ゆやだにが荘域にあたると思われる。

応安六年(一三七三)閏一〇月七日付明教田地寄進状案(国立史料館蔵名草郡古文書所収紀越後家文書)に「在山口庄地頭給字山路壱段三百四十(歩脱)内道副壱段」とみえるが、当庄の伝領はさだかでない。「大乗院寺社雑事記」長禄四年(一四六〇)五月二五日条によると、守護畠山氏に従う武士として山口を名乗る者がいる。天文一六年(一五四七)三月一五日付山口庄中司等連署下地売渡状(国立史料館蔵名草郡古文書)によると、荘内には一番・二番・三番・五番・六番・七番・八番・九番・十番とよばれる地域と、フチタ(藤田)・タニ(谷)・サカノウヘ(坂上)・クロタニ(黒谷)地名があったことがわかる。


山口庄
やまぐちのしよう

平安時代後期から戦国時代の有馬ありま郡の庄園。近世の上山口村・下山口村を中心とした一帯に比定される。「中右記」永久二年(一一一四)一一月一六日条に「源大納言被申山口庄事、申子細了」とあり、源師忠の所領であったとみられるが、これは当庄のことか。「仲資王記」元久元年(一二〇四)六月三日条には、幕府使者が「山口庄狼藉人」の上洛を伝えた記事があり、鎌倉初期に広田ひろた社領となっていたこと、武士の乱暴があったことがうかがわれる。「伯家部類」正応五年(一二九二)正月一三日条にも「広田社山口庄」とあり、鎌倉時代を通して同社領であったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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