山岡久乃(読み)ヤマオカ ヒサノ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山岡久乃」の解説

山岡 久乃
ヤマオカ ヒサノ


職業
女優

本名
山岡 比佐乃

生年月日
大正15年 8月27日

出生地
東京市大森区馬込(東京都 大田区)

学歴
東洋音楽学校(東京音楽大学)中退,舞台芸術アカデミー研究所卒

経歴
東洋音楽学校を中退後の昭和16年宝塚歌劇団に入団。のち戦争激化による活動休止のため退団。24年俳優座に入座。29年森塚敏らと青年座結成、中心俳優として活躍。代表作は「肥前風土記」「坂本竜馬についての一夜」。46年退団。以後フリーとなり、テレビに活動の中心を移した。35年TBS「ただいま十一人」で石井ふく子プロデューサーと出会い、以後「女と味噌汁」「肝っ玉かあさん」「渡る世間は鬼ばかり」などに出演。「ありがとう」などで下町的なお母さん女優として人気を定着させた。平成10年12月胆管がんであることを公表した。

受賞
紫綬褒章〔平成2年〕,勲四等宝冠章〔平成9年〕 芸術祭賞(大賞)〔昭和56年〕「近松心中物語」,芸術祭賞〔平成4年〕「流水橋」,菊田一夫演劇賞(第18回)〔平成5年〕,橋田寿賀子賞(橋田賞 第2回)〔平成6年〕 毎日映画コンクール助演女優賞(昭43年度)「眠れる美女」「カモとねぎ」「女と味噌汁」

没年月日
平成11年 2月15日 (1999年)

伝記
島倉家―これが私の遺言たけさんのプロデューサー物語 島倉 千代子 著武 敬子 著(発行元 文芸社朝日新聞社 ’05’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山岡久乃」の解説

山岡 久乃
ヤマオカ ヒサノ

昭和・平成期の女優



生年
大正15(1926)年8月27日

没年
平成11(1999)年2月15日

出生地
東京市大森区馬込(現・東京都大田区)

本名
山岡 比佐乃

学歴〔年〕
東洋音楽学校(現・東京音楽大学)中退,舞台芸術アカデミー研究所卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール助演女優賞(昭43年度)「眠れる美女」「カモとねぎ」「女と味噌汁」,芸術祭賞(大賞)〔昭和56年〕「近松心中物語」,紫綬褒章〔平成2年〕,芸術祭賞〔平成4年〕「流水橋」,菊田一夫演劇賞(第18回)〔平成5年〕,橋田寿賀子賞(橋田賞 第2回)〔平成6年〕,勲四等宝冠章〔平成9年〕

経歴
東洋音楽学校を中退後の昭和16年宝塚歌劇団に入団。のち戦争激化による活動休止のため退団。24年俳優座に入座。29年森塚敏らと青年座を結成、中心俳優として活躍。代表作は「肥前風土記」「坂本竜馬についての一夜」。46年退団。以後フリーとなり、テレビに活動の中心を移した。35年TBS「ただいま十一人」で石井ふく子プロデューサーと出会い、以後「女と味噌汁」「肝っ玉かあさん」「渡る世間は鬼ばかり」などに出演。「ありがとう」などで下町的なお母さん女優として人気を定着させた。平成10年12月胆管がんであることを公表した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡久乃」の解説

山岡久乃 やまおか-ひさの

1926-1999 昭和後期-平成時代の女優。
大正15年8月27日生まれ。昭和24年俳優座にはいり,「文化議員」で初舞台。29年森塚敏らと青年座を結成,「肥前風土記」などに出演。46年フリーとなり映画や舞台で活躍。テレビでは「ありがとう」などでお母さん役女優として人気をえる。平成4年舞台「流水橋」で芸術祭賞。平成11年2月15日死去。72歳。東京出身。東洋音楽学校(現東京音大)中退。本名は比佐乃。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山岡久乃」の解説

山岡 久乃 (やまおか ひさの)

生年月日:1926年8月27日
昭和時代;平成時代の女優
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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