山崎紫紅(読み)ヤマザキ シコウ

20世紀日本人名事典 「山崎紫紅」の解説

山崎 紫紅
ヤマザキ シコウ

明治・大正期の劇作家,詩人 神奈川県議;横浜市議。



生年
明治8年3月3日(1875年)

没年
昭和14(1939)年12月22日

出生地
神奈川県横浜市

本名
山崎 小三

学歴〔年〕
小学校卒

経歴
独学で文学を学び、明治30年頃から文庫派の詩人として知られる。「明星」「白百合」「文芸界」にも詩作を発表。「日蓮上人」「大日蓮華」の単行叙事詩がある。38年発表の「上杉謙信」が真砂座の伊井蓉峰一座に上演され、以後劇作専念。主な作品集・著書に「七つ桔梗」「史劇十二曲」などがある。関東大震災後創作から遠ざかり、神奈川県会議長、横浜市議、横浜生糸取引所理事などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎紫紅」の意味・わかりやすい解説

山崎紫紅
やまざきしこう
(1875―1939)

劇作家、詩人。本名小三(しょうぞう)。横浜市生まれ。山手英語学校に学ぶ。青年時代『文庫』『明星』に新体詩を投稿して詩人として出発。1905年(明治38)史劇『上杉謙信』が伊井蓉峰(ようほう)らによって上演されてから劇作に向かい、『歌舞伎(かぶき)物語』を2世市川左団次一座が08年に上演、好評を博し、新史劇作家としての地位を確立した。ほかに『甕破柴田(かめわりしばた)』『破戒曽我(そが)』『底倉湯(そこくらのゆ)』『頼朝(よりとも)』など。坪内逍遙(しょうよう)を師と仰ぎ、漸進主義の立場で浪漫(ろうまん)的な詩情を盛り込んだ史劇作家として知られる。大正期以降は神奈川県会議長になるなど地方政界に活躍した。

[藤木宏幸]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎紫紅」の解説

山崎紫紅 やまざき-しこう

1875-1939 明治-大正時代の劇作家。
明治8年3月3日生まれ。「明星」の詩人として出発し,明治38年「上杉謙信」で劇作家に転じる。坪内逍遥(しょうよう)を師とし,「歌舞伎物語」「頼朝」などの史劇をかいた。のち横浜市会議員,神奈川県会議長などをつとめた。昭和14年12月22日死去。65歳。神奈川県出身。本名は小三。作品集に「七つ桔梗(ききょう)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山崎紫紅」の解説

山崎 紫紅 (やまざき しこう)

生年月日:1875年3月3日
明治時代;大正時代の劇作家
1939年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山崎紫紅の言及

【新歌舞伎】より

…この《桐一葉》への賛辞が劇文学者輩出の機運を高め,高安月郊(1869‐1944。《江戸城明渡》《桜時雨》など),山崎紫紅(1875‐1939),岡鬼太郎岡本綺堂らの多くの作品が登場する。これらの作品の特徴は,明治の団菊左や黙阿弥らが辛酸をなめつつ歌舞伎を変革改良しようとした方向ではなく,近代的思想もしくは人間像を歌舞伎の伝統的劇術を借りて表現しようとしたもので,その傾向は現在まで続いている。…

※「山崎紫紅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android