日本歴史地名大系 「岡崎天満宮」の解説 岡崎天満宮おかざきてんまんぐう 愛知県:岡崎市岡崎城下八軒町岡崎天満宮[現在地名]岡崎市中町両(りよう)町北裏、八軒(はつけん)町北東の山腹に位置し、俗に伝馬(てんま)天神と称す。祭神道臣命・菅原道真。旧郷社。もとは弓弦天神または伴天神といい、建保五年(一二一七)本間三郎重光の創建と伝える。明治初年まで天満宮の神主であった伴氏による由緒書(岡崎市史)、あるいは「三河聡視録」によれば、総持(そうじ)寺ならびに築山(つきやま)稲荷の鬼門除けとしてこの地に天神を勧請したのが始まりという。以来総持寺の支配に属し、伴氏が天神社司を勤めた。その後元禄三年(一六九〇)に江戸湯島(ゆしま)天神別当職信祐という者が菅原道真の像を合祀し、氏子が社殿を再建して天満宮と改めた。信祐が奉納したと伝える神像について、菅江真澄も「三河国額田郡乙見荘岡崎の北野の菅大臣ノ社は、菅相丞飛梅を内に納めて造り奉る神像たり」(菅江真澄全集巻)二と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報