岡新田(読み)おかしんでん

日本歴史地名大系 「岡新田」の解説

岡新田
おかしんでん

[現在地名]小出町岡新田

水無みずなし川が魚野うおの川に注ぐ河口の北にある。北と東は十日町とおかまち村。西は魚野川を挟んで五箇ごか村、南は浦佐うらさ(いずれも現南魚沼郡大和町)。水無川は融雪期や台風時にはたちまち増水し、当村は洪水の被害も大きく不安定な地であった。集落は初め字杉入すぎのいりにあったが、享保年中(一七一六―三六)に字上島かみしまへ転住し、万延元年(一八六〇)の洪水で再び杉入に移動したという。正保国絵図に村名がみえ、高三〇石余。天和三年(一六八三)検地帳(坂西謙司氏蔵)には「赤石郷岡新田」と記し、田二反余・畑三町五反余。屋敷持は三人。耕地はほとんど字中島にあり、下々畑が字原にある。宝永五年(一七〇八)の魚沼郡御成箇郷帳(同氏蔵)では小物成に一尺の鮭銀三匁余を納める。


岡新田
おかしんでん

[現在地名]妙高村岡新田

せき川左岸を南西から北東へ並行して走る二本の道の中間にあり、東は橋本はしもと新田、西は田中たなか新田、北東は東田屋ひがしたや新田。正保国絵図に村名があり、高一〇四石余。元禄郷帳では花房はなぶさ村枝郷とあり、高七〇石余。


岡新田
おかしんでん

[現在地名]豊栄市岡新田

南は大月興野おおつきごうや新田、北は里飯野さといいの村。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)に家数九・人数五六とある。享保一九年(一七三四)には新発田領岡方五三ヵ村のうちの一村。宝暦四年(一七五四)幕府領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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