岡田茂(読み)オカダ シゲル

20世紀日本人名事典 「岡田茂」の解説

岡田 茂
オカダ シゲル

昭和期の実業家 元・三越社長。



生年
大正3(1914)年8月3日

没年
平成7(1995)年7月20日

出生地
京都府

学歴〔年〕
慶応義塾大学文学部〔昭和13年〕卒

主な受賞名〔年〕
レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章〔昭和48年〕,CBE勲章(イギリス)〔昭和50年〕,ブロア市名誉市民(フランス)〔昭和50年〕,コメンダトーレ勲章(イタリア)〔昭和50年〕,レジオン・ド・ヌール勲章オフィシェ章〔昭和56年〕

経歴
昭和13年三越に入社。宣伝部長、本店次長などを経て、40年取締役宣伝部長、44年常務、46年専務、47年社長を歴任。宣伝部長時代から、はでな販売戦略で“流通業の革命児”と呼ばれ、社長就任後は、“岡田天皇”といわれるワンマン体制を築いた。しかし、強引な経営や納入業者との癒着、「古代ペルシャ秘宝展」の不祥事などの責任を問われて、57年9月の取締役会で解任される。この時に叫んだ「なぜだ!」は流行語となった。その後、総額18億7千万円の特別背任罪で逮捕。東京地裁判決では懲役3年6ケ月の実刑、平成5年11月東京高裁判決では懲役3年の実刑となり、最高裁で係争中に死去した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「岡田茂」の意味・わかりやすい解説

岡田茂【おかだしげる】

映画製作者。広島県出身。東京帝国大学(現,東京大学)卒業。1947年に東横映画(東映前身)に入社。1950年に《日本戦歿(せんぼつ)学生手記 きけ,わだつみの声》を初プロデュースして公開,大ヒットとなる。1971年には東映社長となり,日本映画製作者連盟会長などを務めた。《人生劇場 飛車角(ひしゃかく)》や《網走番外地》シリーズ,《仁義なき戦い》シリーズなどの代表作をプロデュースした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田茂」の解説

岡田茂(2) おかだ-しげる

1924-2011 昭和後期-平成時代の映画製作者。
大正13年3月2日生まれ。昭和22年東横映画(現東映)にはいり「きけわだつみの声」などを製作。京都撮影所長などをへて,46年社長,平成5年会長。「網走番外地」「仁義なき戦い」シリーズなど東映仁侠路線,実録路線を推進。日本映画製作者連盟会長をつとめた。平成23年5月9日死去。87歳。広島県出身。東京帝大卒。

岡田茂(1) おかだ-しげる

1914-1995 昭和時代後期の経営者
大正3年8月3日生まれ。昭和13年三越に入社。主として宣伝畑をあるき,43年銀座店長。大胆なヤング路線で業績をのばす。47年社長。ワンマンとして君臨したが,古代ペルシャ秘宝展の贋物騒ぎや親しい女性との公私混同問題などで,57年取締役会で解任された。平成7年7月20日死去。80歳。京都出身。慶大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岡田茂」の解説

岡田 茂 (おかだ しげる)

生年月日:1914年8月3日
昭和時代の実業家。三越社長
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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