岡町(読み)おかまち

日本歴史地名大系 「岡町」の解説

岡町
おかまち

[現在地名]小城町小城町 岡町・大手町おおてまち正徳町しようとくまち朝日町あさひまち

城下町としての小城町内の一町。小城町の南、小路こうじの東に位置し、岡町・大手町・正徳町・朝日町からなる町人居住地域である。月岡つきおか鯖岡さばおかともよばれた。

岡町の成立は小城町より遅く、一七世紀末から一八世紀にかけてと考えられる。正徳町は正徳年間(一七一一―一六)成立とされ、表に上水道、裏に下水道が通されており、家屋の部屋割も同一規模になっていて計画的な都市造りであったことがわかる。


岡町
おかまち

[現在地名]諫早市八天町はつてんちよう

諫早市中の北部、本明ほんみよう川の左岸にあり、市中の多くの町と隔てられている。同川沿いに肥前佐賀藩親類同格の諫早家の蔵屋敷があり、荷揚げ用の石段が設けられていた。町並は長崎街道浜通(多良越)を中心に形成され、街角に一里松があった。町の入口の岡口は、佐賀藩主の諫早入に際して諫早家やその家臣に対する堪忍分ともなった。岡町別当が置かれた。享保三年(一七一八)大火全焼しも町・よこ町などにも延焼した。


岡町
おかまち

[現在地名]彦根市元岡町もとおかまち

大橋おおはし町の南に続く両側町。正保元年(一六四四)に町割が行われた(彦根市史)七曲ななまがりと通称され、仏壇関連の職人が集住した。元禄八年大洞弁天寄進帳に町名がみえ、軒数六三のうち借家三五、人数二三五(ほか下人五)、諸職諸商は一五種五五軒で、古鉄屋一八・塩屋七・道具屋六ほか魚屋・油屋・糸屋・小間物屋など、町代・横目は各一。安永七年(一七七八)の万留書(彦根市史)では町代・横目二軒ほかは年貢地三八軒。嘉永三年(一八五〇)の四手町組留書(同書)では家持二六・借家二四。


岡町
おかまち

[現在地名]魚津市新角川しんかどがわ一丁目・本町ほんまち一丁目

岡は浦方に対する呼称で、戦国時代浦方に上・下の猟師りようし町ができ、やがて岡の辺りに岡町ができたという(下新川郡史稿)おお町の南北両端に分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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