日本歴史地名大系 「岡神社」の解説 岡神社かつらおかじんじや 高知県:高知市小高坂村若一王子宮岡神社若一王子(にやくいちおうじ)宮の境内社。祭神は吉良左京進親実の霊。古くは森之(もりの)明神と称した。天正一六年(一五八八)長宗我部元親は四男盛親を継嗣と定め、盛親に豊後国戸次(へつぎ)川で戦死した長男信親の娘をめとらせようとし、これを諫めた元親の甥吉良左京進親実は切腹を命ぜられた。切腹の場所は、現大膳(だいぜん)町にあった親実の異父兄如淵の住した真西(しんせい)堂であった。 岡神社おかじんじや 京都府:船井郡八木町北広瀬村岡神社[現在地名]八木町字北広瀬 岡花江戸時代の南・北両広瀬(ひろせ)村の氏神で、北広瀬集落西南の山麓に鎮座する。祭神は事代主命。旧村社。創建時期は明らかでないが、江戸時代には近隣諸藩主の信仰が厚く、社頭の石鳥居は山家藩の寄進といわれる。第二次世界大戦直後まで「宮の統」という宮座組織があった。年数回行われた神社の祭礼は、両広瀬から広瀬・宅間姓の特定家(広瀬姓四家・宅間姓四家)の男性が一人ずつ出て執行した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報