日本歴史地名大系 「若一王子宮」の解説
若一王子宮
にやくいちおうじぐう
若一王子宮
にやくいちおうじぐう
[現在地名]香我美町徳王子
「南路志」所引の社記には「勧請ハ昔熊野より村上永源上人御厨子を奉負此所に勧請之由云伝」とみえる。また同書所収村上氏系図のなかの栄元の注記に「貞和中土佐ニ下向大忍ノ王子ゴンゲン別当」とあり、永源と栄元が同一人であれば貞和年中(一三四五―五〇)勧請と解される。しかし弘安元年(一二七八)一二月四日の若王子宮別当職安堵状(香宗我部家伝証文)で僧禅源が父道舜の譲状により若王子別当職を安堵されているから、これ以前から鎮座していたことになる。
若一王子宮
にやくいちおうじぐう
若一王子宮
にやくいちおうじぐう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報