日本歴史地名大系 「岩津村」の解説 岩津村いわづむら 愛知県:岡崎市岩津村[現在地名]岡崎市岩津町北は仁木(につき)村・八(や)ッ木(ぎ)村、南は東蔵前(ひがしくらまえ)村・西蔵前村に接する。東は岩津天満宮の丘陵地帯で真福寺(しんぷくじ)領、西は矢作川を境に川端(かわばた)村(現豊田市)に接する。足助(あすけ)街道に沿って集落がある。矢作川を上下する舟がここに泊したところから出た名であろうという。岩津は矢作川東岸の台地の西にあたり、矢作川の沖積地を一望できる。古墳時代より政治勢力の本拠地であり、矢作川渡船の基点であった。南へは六名(むつな)・和田(わだ)を経て矢作の渡に通じ、青木(あおき)川沿いに設楽(したら)郡への道があった。北に仁木・細川(ほそかわ)の地があり、松平氏の岩津進出は必定であった。 岩津村いわつむら 福岡県:三池郡高田町岩津村[現在地名]高田町岩津古賀(こが)村の東、飯江(はえ)川左岸にある。三池郡に属する。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文にみえる阿志岐(あしき)宮(現久留米市)分の「三毛石津廿七町」は岩津のことと思われる。文明―明応(一四六九―一五〇一)頃の一〇月一七日付田原親宗発給の田尻氏知行坪付(田尻家文書/佐賀県史料集成七)には「岩津三池之内」二七町がみえる。永正五年(一五〇八)一一月三日、大友義長から田尻中務大輔(種久)に与えられた筑後国内の知行地のうちに三池郡内の「岩津」二七町がある(「大友義長知行預ケ状」「大友義長袖判知行坪付」同上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by