日本歴史地名大系 「岩瀬町」の解説 岩瀬町いわせまち 茨城県:西茨城郡岩瀬町面積:八六・八三平方キロ郡の西端にあり、東は棟(ぐし)峰・高幡(たかはた)山を境に笠間市、南は加波(かば)山を境に新治(にいはり)郡八郷(やさと)町に接し、西は真壁(まかべ)郡大和(やまと)村・協和町、北は富谷(とみや)山・雨巻(あままき)山などの連峰をもって栃木県芳賀郡に接する。北東の鍬柄(くわがら)峠の鏡(かがみ)ヶ池に発する桜川は町の中央部を東西に貫流し、谷中(やなか)で加波山から北流する筑輪(ちくわ)川、高(たか)峰・雨巻山から南流する布(ぬの)川や大(おお)川を合せる。また国鉄水戸線が町を東西に貫通し、岩瀬駅からは土浦と結ぶ私鉄筑波鉄道が発する。さらに国道五〇号が水戸線とほぼ平行に通り、町の大動脈となっている。産業は農業が中心であるが、花崗岩・山砂の採取、石材加工・瓦製造も行われ、また砥石や硯の特産地でもある。 岩瀬町いわせまち 秋田県:仙北郡角館町角館城下岩瀬町[現在地名]角館町岩瀬町外町に属し、角館(かくだて)、六郷(ろくごう)(現六郷町)を結ぶ街道に沿い、南は下新(しもしん)町、北は上新(かみしん)町。道が西に二本延び下中(しもなか)町通り・中(なか)町通りに交わる。東は給人町の菅沢(すえざわ)丁に接する。宝永二年(一七〇五)の家数三九軒(角館誌)、享保八年(一七二三)の仙北郡郡村本村支村御高調帳(秋田県庁蔵)には家数四二軒で、駅馬役を負担した。この町の商人八柳吉兵衛は文化五年(一八〇八)角館材木場設置から蔵元を勤め、文化八年には木山方御用聞となり、阿仁(あに)銅山廻米御用も勤めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by