岸俊男(読み)キシ トシオ

20世紀日本人名事典 「岸俊男」の解説

岸 俊男
キシ トシオ

昭和期の日本史学者 奈良県立橿原考古学研究所所長;愛知学院大学文学部教授;京都大学名誉教授。



生年
大正9(1920)年9月15日

没年
昭和62(1987)年1月21日

出生地
京都府京都市上京区

出身地
奈良県奈良市押上町

学歴〔年〕
京都帝国大学文学部史学科〔昭和19年〕卒

学位〔年〕
文学博士(京都大学)〔昭和42年〕

経歴
学徒出陣で応召し、海軍中尉で復員。昭和21年京都帝国大学助手、26年奈良女子大学講師、28年助教授、30年京都大学助教授を経て、44年教授。奈良時代の政治史研究が専門で、平城宮跡出土の木簡解読、藤原京の条坊復元など、考古学と文献史学をつなぐ大きな業績をあげる。埼玉・稲荷山古墳、松江・岡田山古墳から出土した刀剣銘の発見でも有名。59年京都大学退官の後、橿原考古学研究所長、愛知学院大学文学部教授に。60年には大津皇子大友皇子の名を記した天武朝の木簡を解読して、律令国家形成期の裏面に迫る大発見に結びつけた。61年には奈良・藤ノ木古墳の解明に取り組む。木簡学会初代会長として木簡学の確立にも尽力した。著書に「日本古代政治史研究」「宮都と木簡」「日本古代文物の研究」「日本古代宮都の研究」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸俊男」の解説

岸俊男 きし-としお

1920-1987 昭和時代後期の日本史学者。
大正9年9月15日生まれ。昭和44年母校京大の教授となる。のち愛知学院大教授,奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所所長をつとめる。政治・経済史を専門とし,都城制や木簡(もっかん)・金石(きんせき)文の研究などによって戦後の古代史学界を先導した。昭和62年1月21日死去。66歳。京都出身。著作に「日本古代政治史研究」「日本古代宮都の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岸俊男」の解説

岸 俊男 (きし としお)

生年月日:1920年9月15日
昭和時代の日本史学者。京都大学教授;橿原考古学研究所長
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岸俊男の言及

【江田船山古墳】より

…銘文の解読の基礎は福山敏男が1934年につくり,最初の部分を〈治天下□□□歯大王世□□〉と読んで,蝮(たじひの)宮に天の下治(しろし)めす弥都歯(みずは)大王,すなわち反正天皇にあてた。この福山説にしたがって,大刀を438年ころの製作と考えるのが定説であったが,78年に埼玉(さきたま)稲荷山古墳出土の鉄剣に金象嵌銘が発見されたとき,岸俊男らの解読の際に再検討が加えられ,これはむしろ稲荷山銘と同じく獲加多支鹵(ワカタケル)と読めることが示され,雄略天皇の時代の製作とみる説が有力になった。内容の概略は〈獲□□□鹵大王の世に,事(つか)える典曹人の无[利][工]が大錡(かま)を用いて好い刀を作った。…

※「岸俊男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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