戦時に動員した軍隊を平時の体制に復し,召集した兵員の服務を解くことをいう。1945年8月の敗戦によって日本帝国陸海軍は武装解除され,内地部隊の兵士は召集を解かれて自宅に帰り,外地部隊も戦犯容疑者に指名された者以外は逐次帰国した。天皇は終戦詔書に次いで,8月17日と25日の2回,陸海軍人に対する勅語・勅諭を出して整然と復員を実施するよう要望した。終戦時の陸軍兵力は約547万人であったが,内地陸軍部隊は,まずアメリカ軍進駐地点での摩擦を避けるために8月21日,22日に兵団の移動を行い,25日から復員が開始されて10月15日までに復員業務を担当する陸軍省等を除き約210万人が復員を終えた。海軍も終戦時に約242万人の兵力があったが,残留艦船・航空機等を武装解除し,本土部隊約197万人は復員を完了した。占領軍最高司令官マッカーサーは10月16日,〈かくも急速,円滑に復員が完遂されたことは史上にその類例がない〉と復員完了放送を行った。その後,残留していた陸軍本土部隊約20万も復員し,11月30日に陸軍省,海軍省は廃止され,12月1日にそれぞれ第一復員省,第二復員省となり,引き続き外地部隊の復員業務を担当した。海外には陸軍約309万人,海軍約45万人が千島・樺太方面,朝鮮・中国本土方面,台湾・南西諸島方面,中部太平洋・南方諸島方面,東南アジア方面などに散在していたが,45年9月にアメリカ軍管理地域から復員が開始され,中国,オーストラリア,イギリス各国軍管理地域から地域差はあるがおくれたところでも48年にはほぼ完了した。ソ連軍管理地域と内戦の影響を受けた中国本土からの復員は困難を極め,未帰還の不明者が残された。第一復員省,第二復員省は46年6月に復員庁に統合され,48年5月には引揚援護庁が設置され引揚復員業務が一元化された。その後,厚生省援護局(現,厚生労働省社会・援護局)が遺骨収集・戦没者慰霊事業等の業務を担当している。この間,戦後30年経って旧軍人が発見され,72年2月に横井庄一がグアム島から,また74年2月に小野田寛郎がルバング島から帰還した。
→シベリア抑留 →引揚げ
執筆者:梅田 欽治
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戦時動員された軍隊の平時への復帰を意味する軍事用語。とくに第2次大戦終結による国内外の軍隊の帰還をさす言葉として定着。敗戦後,政府はポツダム宣言「九,日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ」にもとづいて復員業務を開始。内地部隊の復員はほぼ円滑に完了したが,外地にいた約350万の軍人・軍属の復員は,一般居留民の引揚げとともに,当初船舶不足などの障害に直面した。1946年(昭和21)アメリカの輸送船が貸与されて業務が軌道にのり,南方地域・東南アジア・中国本土・台湾・朝鮮南部からの帰還は48年までにほぼ終了したが,ソ連軍管理下の中国東北部・朝鮮北部などからの帰還は困難をきわめ,シベリア抑留問題を生んだ。
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