岸本五兵衛(読み)きしもと・ごへえ

朝日日本歴史人物事典 「岸本五兵衛」の解説

岸本五兵衛

没年:昭和2(1927)
生年天保8.2(1837)
幕末から明治大正期の大阪の肥料商,海運業者。播磨国加東郡下東条村(兵庫県小野市)の農家に生まれ,20歳のとき大坂に出て,廻漕業者赤穂屋に奉公,慶応2(1866)年主家の後援を得て,北海産荷受問屋を開業,河内屋と号した。北海産物にはニシン粕など,河内綿作地帯を中心に農業で使われる肥料が多く,河内屋はこの肥料業を兼営し,財をなした。明治17(1884)年家督を譲り受けた長男の2代目五兵衛(1864~1915)は,明治19年汽船を購入して,廻漕業・海運業に乗り出し,日清・日露戦争時に莫大な利益を挙げ,明治41年岸本汽船株式会社を創立,社長となった。明治28年には大阪実業銀行監査役にも就任した。<参考文献>宮本又次『大阪商人太平記』上

(宮本又郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸本五兵衛」の解説

岸本五兵衛(初代) きしもと-ごへえ

1837-1927 幕末-明治時代の商人。
天保(てんぽう)8年2月生まれ。20歳のとき大坂に出,廻漕(かいそう)業者赤穂(あこう)屋ではたらく。慶応2年主人の援助をうけ松前問屋(北海産荷受問屋)河内(かわち)屋をひらき,鰊粕(にしんかす)などの肥料もあつかって成功した。昭和2年死去。91歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名はのち佳季。

岸本五兵衛(2代) きしもと-ごへえ

1864-1915 明治-大正時代実業家
元治(げんじ)元年11月30日生まれ。初代岸本五兵衛の長男。明治17年父から北海産荷受問屋をつぐ。19年汽船を建造して廻漕(かいそう)・海運業をおこし,日清(にっしん)・日露戦争で巨利をあげる。41年岸本汽船を創立し,社長。大正4年1月19日死去。52歳。大坂出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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