橋立は文珠の海岸にある
「丹後国風土記」逸文には次のように記される。
天橋立はこの土地の人間にとって「神の住み給う所」とうけとられ、のちの世までも橋立を破壊から守ることともなった。
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京都府北部、日本海に臨む宮津湾と阿蘇海(あそかい)を隔てる砂州(さす)。「天ノ橋立」とも記す。天橋立の名は早く『丹後国風土記(たんごのくにふどき)』にみられ、松島、宮島とともに古来日本三景の一つとして名高く、特別名勝に指定されている。天橋立は、宮津湾西岸の江尻(えじり)から対岸の文珠(もんじゅ)に向かって南西に延び、全長約3.3キロメートル、幅40~100メートル。湾内を流れる潮流と風によって運ばれた砂の堆積(たいせき)によるもので、雪舟(せっしゅう)の晩年の作『天橋立図』に描かれた白砂青松の地であり、7000本余のマツが植えられ、歌枕(うたまくら)としても知られる。砂州の先端と文珠との間は「文殊の切戸(きれと)」とよばれ、狭い水路をなし、通船に便利なように回旋橋が架けられている。文珠地区は「知恵の文珠」とよばれる智恩寺の門前町で、旅館街をなしている。また江尻の背後にある傘松公園(かさまつこうえん)は天橋立の展望に優れ、「股(また)のぞき」で知られる。北西の成相(なりあい)山には西国三十三所28番札所の成相寺がある。
[織田武雄]
『『朝日百科 日本の国宝 別冊 国宝と歴史の旅11 「天橋立図」を旅する――雪舟の記憶』(2001・朝日新聞社)』
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京都府の日本海側宮津湾奥にある砂州。宮津市江尻から南へのびて文珠に向かう全長3km以上,幅40~110mの狭長な砂州で,東側の宮津湾と西側の阿蘇海とを仕切っている。南側に切れめがあって,北部を大天橋,南部を小天橋といい,両者は大天橋で結ばれる。小天橋は文珠の沿岸に沿って延びており,間の狭い水道は切戸(きれと)あるいは文珠ノ瀬戸などと呼ばれ,開閉式の回旋橋で結ばれている。砂州上に6000本以上の松が並ぶ景勝の地で,松島,宮島(厳(いつく)島)とともに日本三景として知られる。早くは《丹後国風土記》逸文にみえているが,後に《小倉百人一首》に加えられた小式部内侍の歌によまれたり,藤原実行宅が〈海橋立(あまのはしだて)殿〉と称されているなど平安時代にはすでに有名であった。1952年特別名勝に指定され,また若狭湾国定公園の一部となっている。
執筆者:金田 章裕
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…《和名類聚抄》に記された田数も4700町余で,これも隠岐国についで少ない。のちに日本三景の一とされる天橋立もすでに風土記にみえており,名勝として親しまれた。小式部内侍の〈大江山生野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立〉の歌は有名である。…
…天橋山と号する。天橋立(あまのはしだて)の南岸にあってはるかに成相(なりあい)寺と相対する景勝の地にある。本尊文殊菩薩(鎌倉期,重要文化財)の霊験は,謡曲《九世戸(くせのと)》《丹後物狂(ものぐるい)》でも知られ,日本三文殊の一つとされる。…
…宮城県の松島,京都府の天橋立(あまのはしだて),広島県の厳島(いつくしま)を日本三景と称している。松島や天橋立はすでに平安時代中期までに,京都の貴族たちには広く知られた名勝地で,歌や名所絵のよき題材とされていた。…
※「天橋立」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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