島崎城跡(読み)しまざきじようあと

日本歴史地名大系 「島崎城跡」の解説

島崎城跡
しまざきじようあと

[現在地名]牛堀町島須

牛堀の中心街の東方約二キロ、島須します台地突端に位置する。

鎌倉時代に常陸大掾氏の一族行方景幹の二子次郎高幹が当地に居住して島崎氏を称したが、築城は六世の吉幹の時代という(水府志料)。島崎氏の系譜は諸本によって異なるが、中世を通して「行方四頭」あるいは「行方二頭」と称されるほど近隣に武威を誇り(常陸名族志)、正平一三年(一三五八)・元中三年(一三八六)には鹿島神宮の大使役を勤めている(「鹿島大使役記」安得虎子)。その後大永二年(一五二二)には同族永山氏が拠る永山ながやま城を攻略、天文五年(一五三六)に玉造宗幹と戦い(常陸三家譜)、天正一二年(一五八四)には麻生あそう(現麻生町)を攻略し、麻生以南の行方郡全域を支配したが、同一九年島崎儀幹・徳一丸親子は太田おおた(現常陸太田市)佐竹義宣によって誘殺され、島崎城は廃城となった(和光院過去帳、六地蔵寺過去帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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