日本歴史地名大系 「崇元寺跡」の解説
崇元寺跡
そうげんじあと
創建は尚巴志代(一四二二―三九)または尚円王代(一四七〇―七六)という(「琉球国由来記」、「球陽」尚円王附条)。「南島風土記」では崇元寺下馬碑が尚清王(在位一五二七―五五年)即位の年である嘉靖六年(一五二七)に建立されていることから、尚清王が父尚真王のために創建したものであろうと推測している。尚真王代末期に伽藍の建設が始められ、尚清王代の下馬碑建立時が創建年という説もある。しかし「琉球国由来記」に開基は芥隠とあり、円覚寺開基の芥隠承琥であると思われ、芥隠の没年が尚真王一九年の弘治八年(一四九五)であることから、創建は弘治八年以前にさかのぼる可能性もあると思われる。本尊は同書に丈室に木造の聖観音を安置していたとあるので、観音菩薩であったのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報