崇元寺跡(読み)そうげんじあと

日本歴史地名大系 「崇元寺跡」の解説

崇元寺跡
そうげんじあと

[現在地名]那覇市泊一丁目

安里あさと川に架かる崇元寺そうげんじ橋の北側に寺域(「琉球藩雑記」によると一千二三〇坪余)が広がっていたが、現在は崇元寺通(県道二九号線)沿いに第一門の石門のみが残る。霊徳山と号し、かつては臨済宗円覚えんかく寺の末寺。尚家の廟所であるとともに歴代国王の霊位を祀る国廟で、冊封使来琉の際には先王の霊を弔う諭祭の儀式を行う寺でもあった。寺領は近世期を通じて三〇石で(里積記)、明治期まで変化はなかったようである。

創建は尚巴志代(一四二二―三九)または尚円王代(一四七〇―七六)という(「琉球国由来記」、「球陽」尚円王附条)。「南島風土記」では崇元寺下馬碑が尚清王(在位一五二七―五五年)即位の年である嘉靖六年(一五二七)に建立されていることから、尚清王が父尚真王のために創建したものであろうと推測している。尚真王代末期に伽藍の建設が始められ、尚清王代の下馬碑建立時が創建年という説もある。しかし「琉球国由来記」に開基芥隠とあり、円覚寺開基の芥隠承琥であると思われ、芥隠の没年が尚真王一九年の弘治八年(一四九五)であることから、創建は弘治八年以前にさかのぼる可能性もあると思われる。本尊は同書に丈室に木造の聖観音を安置していたとあるので、観音菩薩であったのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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