中国、盛唐の詩人。字(あざな)不明。汴州(べんしゅう)(河南省開封市)の人。723年(開元11)進士にあげられ、天宝年間(742~756)、司勲員外郎(しくんうんがいろう)となった。秀才であったが素行が修まらないところがあり、妻を何遍も取り替えたという。若い時代の詩は軽薄とされたが、年をとるとともに気骨のある詩をつくるようになった。『全唐詩』に1巻、42首の作品を残している。湖北省武昌(ぶしょう)にあった黄鶴楼(こうかくろう)に登ったときにつくった七言律詩「黄鶴楼」(「昔人已(すで)に白雲に乗じて去り」で始まる詩)はとくに有名で、後年李白(りはく)が黄鶴楼に登ったとき、崔顥のこの詩以上のものはできないとして、歌わずに立ち去ったという伝説がある。宋(そう)の厳羽(げんう)は、崔顥の「黄鶴楼」を、唐代七律第一の傑作として高く評価した。
[鈴木修次]
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