日本大百科全書(ニッポニカ) 「嵩岳寺」の意味・わかりやすい解説
嵩岳寺
すうがくじ
中国、河南(かなん/ホーナン)省登封(とうほう/トンフォン)市太室山西麓(せいろく)、嵩山の南麓にある寺。北魏(ほくぎ)の宣武帝が509年(永平2)離宮を造営し、孝武帝が520年(正光1)寺に改め閑居(かんきょ)寺とし、塼塔(せんとう)を建造したことに始まる。少林寺仏陀(ぶっだ)禅師の弟子僧稠(そうちょう)が住するや、僧徒700、堂舎1000間を超えたといわれ、胡(こ)太后も修道した。北周の破仏(574、577)で一時道観(道教寺院)となったが、隋(ずい)の601年(仁寿1)元に復し嵩岳寺と改称した。唐代には神秀(じんしゅう)、普寂(ふじゃく)らが住して北宗禅(ほくしゅうぜん)の拠点となり、一行(いちぎょう)、惟政(いせい)らもこの寺で業を受けた。また高宗、則天武后の嵩岳参拝行宮(あんぐう)所となり、中宗の重修など王室の尊崇を得た。現在は荒廃しているが、北魏建造の十五層十二角の塼塔が現存しており、重点文物保護単位に指定されている。
[里道徳雄]