日本歴史地名大系 「巌吼寺」の解説 巌吼寺がんくうじ 長崎県:南高来郡加津佐町加津佐村巌吼寺[現在地名]加津佐町野田名 岩戸山岩戸(いわと)山の北麓にある。普陀山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。正平(一三四六―七〇)初年頃に有馬直純の招請を受けて当地に来た大智が水月の天辺(すいげつのてつぺん)に創立した水月山円通(えんつう)寺を前身とする。正平一三年六月二三日の有馬直純寄進状(広福寺文書)に寺号がみえ、寺地を寄進している。大智は晩年に水月庵に退き、円通寺は法弟の禅古に譲ったという。同二一年銘の円通寺長卵形無縫塔は大智の墓と伝える。大智が用いたという法衣・払子・鉄鉢を所蔵する。戦国期にはキリスト教の浸透に伴って当寺の堂宇は破却され、寛永一四年(一六三七)の島原の乱のあとは寺基も廃絶を余儀なくされたという。慶安五年(一六五二)和泉国熊取(くまとり)(現大阪府熊取町)の成合(じようごう)寺の開山である雲山愚白が加賀国から来島して、大智が老いて庵居したという現在地に草庵を営み、巌吼庵と号していたところ、島原城主高力氏の崇敬を受けて直参が行われ、境内山林の寄進はもとより近在の岩戸山樹叢の保護も定められた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by