川内多々奴比神社(読み)かわちたたぬひじんじや

日本歴史地名大系 「川内多々奴比神社」の解説

川内多々奴比神社
かわちたたぬひじんじや

[現在地名]篠山市下板井

河内原かわちばら鎮座。旧郷社。祭神は天照皇大御神・建速素盞嗚命。多々奴比は楯縫に同じと考えられ、「延喜式」践祚大嘗祭に大嘗宮の門に立てる楯は「丹波国楯縫氏造之」と記す。社蔵の由緒記によれば、正暦元年(九九〇)源頼光が丹波の賊徒を征伐した際に太刀一口を奉納したと伝え、元弘年間(一三三一―三四)には兵火で神玉などを焼失したという。正平一三年(一三五八)に再建、万治元年(一六五八)火災で社殿や文書などを焼失、同三年に社殿を再建したとある。別当寺は天台宗の南光山蓮華寺であった。「延喜式」神名帳に記される多紀たき郡九座の一つ「川内多々奴比神社二座」に比定され、「和名抄」の多紀郡河内郷に所在したものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む