川南古墳群(読み)かわみなみこふんぐん

日本歴史地名大系 「川南古墳群」の解説

川南古墳群
かわみなみこふんぐん

[現在地名]川南町川南 西ノ別府

小丸おまる川左岸の国光こつこう原と称される海成隆起台地の縁辺部、標高約六〇メートルの段丘面前方後円墳二二基・円墳二一基があり、台地縁辺から一キロほど奥まった標高約八〇メートルの高位段丘面には前方後円墳二基・円墳四基がある。国指定史跡。滅失した小円墳や指定外古墳も数基ある。史跡指定の範囲が残存墳丘地表に現れている部分に限られ、埋没部分や周溝に関しては確認調査も数例しか行われていないので、未指定部分の面積もかなり多い。「日向地誌」によると、最も大きいおお(三九号墳)には三方をめぐる周溝があったとされ、総計二八基(宗麟原供養塔の背後の古墳を含めると二九基)が記載されているが、現在と景観がまったく違うので三九号墳以外はどの墳丘をさすのか同定しがたい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「川南古墳群」の解説

かわみなみこふんぐん【川南古墳群】


宮崎県児湯(こゆ)郡川南町西別府にある古墳群。小丸川左岸の標高50~60mの国光原(こっこうばる)台地の縁辺および標高80mの一段上位の台地上に立地する。古墳の数は前方後円墳25基、方墳1基、円墳25基で、東南約3.5kmには持田古墳群南西約9kmには新田原(にゅうたばる)古墳群、西南西約8kmには西都原(さいとばる)古墳群がある。この古墳群では前方後円墳の比率が非常に高いことから、単一の首長家の墓域ではなく、ある程度広範囲の有力氏族数家の墓域を示すものと考えられ、古墳群は立地によって5群に細分される。1961年(昭和36)、これらの古墳の墳丘部が国の史跡に指定された。築造は4世紀ごろから6世紀終わりごろと推定され、群内最大の古墳は39号墳の現存全長112mで、小丸川流域の古墳では最大の前方後円墳である。JR日豊本線高鍋駅から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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