日本歴史地名大系 「持田古墳群」の解説
持田古墳群
もちだこふんぐん
一号墳(
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
一号墳(
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
宮崎県のほぼ中央を南東流する小丸川の河口東岸の台地上,児湯郡高鍋町持田に群在する前方後円墳9基,円墳58基を総称して持田古墳群と呼ぶ。前方後円墳のうち,前方部の細長い柄鏡(えかがみ)形のものは小丸川寄りの台地縁辺部にあり,なかでも北西端に位置する計(はかり)塚(持田1号)は,全長53m,後円部径30m,前方部幅20mで,群中最大の規模をもつ。一方,前方部の発達したものは台地中央寄りにあり,円墳もまたここに多い。なお,台地下に亀塚と呼ぶ帆立貝形に近い前方後円墳がある。
1929-30年ころに乱掘され,出土品も散逸したが,梅原末治が学術上の究明につとめた。前方後円墳のうち,計塚から獣帯鏡,竜虎鏡,硬玉勾玉(まがたま),20号墳から画文帯神獣鏡,玉(たま)類,刀剣,馬具,山の神塚(28号)から仿製(ぼうせい)鏡,玉類,耳飾,環頭大刀などが出土したという。また石船塚(16号)には,舟形石棺が残る。円墳では,24号墳から画文帯神獣鏡,銅鈴,25号墳から画文帯神獣鏡,〈火竟〉刻銘仿製四獣鏡,48号墳から三角縁神獣鏡,49号墳から馬具など,56号墳から銀製空玉(うつろだま),馬具などの出土を伝える。48号墳の三角縁神獣鏡には同笵(どうはん)鏡の存在が知られ,計塚の獣帯鏡,20号,24号,25号墳の画文帯神獣鏡には他古墳に同型鏡がみられる。同古墳群出土といわれる遺物は多く,優品が少なくない。4世紀から5世紀の長期に及んで営まれた古墳群として,西都原(さいとばる)古墳群とならんで注目される。
執筆者:川西 宏幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
宮崎県児湯(こゆ)郡高鍋(たかなべ)町持田に所在する古墳群。小丸川左岸の標高約50メートルの台地上にあり、前方後円墳12基を含む総数100基に近い古墳群である。前方後円墳のなかには、前方部が低く細長い柄鏡(えかがみ)式のもの(計塚(はかりづか)、45号墳)、前方部が発達して後円部と均衡を保つもの(石舟塚、28号墳・34号墳)、帆立貝(ほたてがい)式のもの(20号墳)がみられる。1929、30年(昭和4、5)ころに乱掘により副葬品が散逸したが、梅原末治(すえじ)(1893―1983)によって復原調査が行われた。群中で最大(全長53メートル)規模をもちもっとも古式と考えられる計塚は、舟形木棺を収めた竪穴(たてあな)式石室と推測され、鏡2、勾玉(まがたま)5の副葬品が確認されている。また石舟塚には、後円部に舟形石棺が残存している。20、24、25号墳からは画文帯神獣鏡、48号墳からは群馬県前橋市後閑天神山(ごかんてんじんやま)古墳出土のものと同笵(どうはん)の三角縁神獣鏡が出土している。西都原(さいとばる)古墳群と同じく5世紀の古墳を中心とする日向(ひゅうが)の代表的古墳群。
[後藤喜八郎]
『梅原末治著『持田古墳群』(1969・宮崎県教育委員会)』
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