日本大百科全書(ニッポニカ) 「川合小梅」の意味・わかりやすい解説
川合小梅
かわいこうめ
(1804―1889)
江戸末期、紀州藩の藩校学習館督学(学長)川合梅所(ばいしょ)の妻で女流画家。彼女の名は、彼女が幕末期から明治前期の激動期に、当時の政治動向や社会状勢、日常生活などを克明に描いた日記によって知られている。文化(ぶんか)元年12月22日、学習館助教川合鼎(かなえ)と辰子の間に生まれ、梅本修(通称豹蔵(ひょうぞう)、梅所と号す)と養子縁組した。彼女の日記の原本は、1849年(嘉永2)から85年(明治18)まで、途中散逸した年も少なくないが、和歌山県立図書館に保存されており、これを底本に、志賀裕春(やすはる)・村田静子の校注になる『小梅日記』3冊が「東洋文庫」のシリーズで刊行され、幕末維新の激動期を生き抜いた一女性の記録として、女性史研究ならびに当時の地方の社会状勢を研究するうえで貴重な史料とされる。
[加藤榮一]
『志賀裕春・村田静子校注『小梅日記』全3巻(平凡社・東洋文庫)』